- トップメニュー|検索

横浜市泉区役所のトップページへ


このページの本文 ここから

トップページ   >   いず魅力なび   >   歴史   >   いずみいまむかし   >   第1章 泉区のあゆみ   >   

泉区の産業

第1章 泉区のあゆみ

泉区の産業

大橋 俊雄 (泉区歴史の会会長・文学博士)

 産業面では、明治時代にはいると桑を栽培し養蚕を生業とする農家も増え、アメリカ・ニューヨークで製糸法を学び帰国した持田角左衛門は、境川沿いの上飯田に明治二十二年五月、持田第一工場を建て、つづいて引地川沿いの天神下(中長後)に第二工場を作っている。これが盛進社で、盛進社と水田をはさんで上飯田に同二十六年三月宮崎勘右衛門は、宮崎製糸工場を創立、このほか和泉には清水製糸場(和泉館)横山製糸場、岡津には萩原製糸場などがあった。坐繰り製糸を器械製糸に改良したのは持田で、ここで製糸されたものは八王子織物の原料となった。昭和十年の統計によれば、全農家数に対する養蚕農家の割合は中和田村で九一%、中川村で五七%に及んでいる。農業経営の近代化を目指した「産業組合法」が公布されたのは明治三十三年三月のことで、法の公布にともない、同四十一年三月無限責任中田信用組合を設立して奥津喬治郎が理事長に就任した。

 大正二年県農会で農業視察先として挙げられているなかに、中田の真綿生産と林樹苗、岡津の岡津東部養蚕組合、上飯田の持田・宮崎両製糸工場、和泉・下飯田のスライスハム缶詰工場があり、これによってほぼその当時の農村の産業界の傾向を知ることができる。製糸工場の設立は製糸業の活況化を示しているが、その後関東大震災と糸価の暴落により工場も次第に姿を消していった。昭和六、七年になるとようやく回復の兆しが見え、同三十五年まで消長をつづけた。

 昭和七年、逓信省の要望で、東京、大阪間に夜間飛行が行われるようになったため、和泉町字横根の通称廻馬(ぐるま)原、富士山(ふじやま)上に戸塚航空燈台が建設されたが、以来戦時色を帯び、同十二年春には新橋町に日本火薬工場株式会社戸塚作業所が建てられた。同十九年には中田町から岡津町にかけて桑原部隊の本部実習場、中田町南部から深谷町にかけて海軍通信施設として深谷通信所の送信施設が設けられた。

 

 前のページ ■■■■■ 次のページ   
 

平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版

  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より

PDF

いずみいまむかし―泉区小史 PDF一覧ページへ




問合せ先
区政推進課広報相談係 1階101番
電話:045−800−2337
FAX:045−800−2506
※由来・歴史などの詳細については回答できかねますので、ご了承ください。