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わがまち保土ケ谷 歴史散歩

新井新田

 新井新田は、現在の新井町の位置にありました。「風土記稿」によると、昔は幕府の領土だった林を新井忠兵衛という人が宝暦年中(1751〜1764)に開発してから新井新田と呼ばれるようになったと言います。

 傾斜地で生産性の低い畑が多かったこの地で、明治7年(1874)、伊勢(現、三重県)四日市の人、黒崎平七がお茶の栽培を始めました。

 当初、茶畑は番茶の生産が主流でしたが、お茶栽培の先進地である宇治や駿河から茶師を招いて技術を習得するなど、製品の改良に努力を重ねました。

 明治16年(1883)には、兵庫県神戸の製茶共進会に出品。せん茶が入選するほど品質も向上しました。

 地場産業として定着した茶園は、昭和12年(1937)ごろまで栽培が行われていました。しかし、戦時中の食料増産体制で茶畑はサツマイモ畑や麦畑に変わり、戦後は大規模団地の建設や宅地開発などで次第に茶畑は無くなっていきました。

 茶畑があった名残りとして地元新井小学校の校章は、お茶の葉と花が図案化されたもので、今でも校内にはお茶の木が植えられています。

新井小学校の校章
▲新井小学校の校章