本文へジャンプ - トップメニュー|検索
保土ケ谷区ヘッダー

トップ >  旧東海道 > 保土ケ谷宿の成り立ちと特色

保土ケ谷宿の成り立ちと特色

宿場とは?
旅行者の宿泊・休息のための宿屋・茶屋や、人馬の中継をする設備をもった現在の
ターミナル駅のようなものです。「伝馬朱印状」という文書が幕府から発給されて初めて宿場として認められました。

伝馬朱印状
伝馬朱印状/軽部紘一氏所蔵

権太坂は旧東海道の最初の難所
日本橋から保土ケ谷までの距離は八里九丁(約32km)。成人男性が1日に十里ほど
歩いたといわれる当時、最初の宿泊地としては、少し早い宿場でした。
しかし、江戸を出て最初の難所だった権太坂をこえる前には、ちょうどいい休息の場
だったのかもしれません。
旧東海道は途中でルート変更があった!!
実は、東海道は1648年頃にルートが変更されています。変更後のルートが、
今の相鉄線の天王町駅前から国道1号を通過して元町橋に出る道です。
宿場も1601年の成立当時は、現在の保土ケ谷3丁目の旧元町橋辺りにありましたが、ルート変更に合わせ、天王町商店街から外川神社までの範囲(約2km)に移転し、それまでの場所が元町と呼ばれるようになりました。
ルート変更の理由や、変更前のルートは今も正確には分かっていません。

保土ケ谷宿絵図
保土ケ谷宿絵図/軽部紘一氏所蔵

旧東海道
1648年に整備された旧東海道(新町通)