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横浜フィルムコミッションとは

フィルムコミッションとは

フィルムコミッションは、映画・テレビ・コマーシャル(以下、CM)等のロケ撮影に際して、ロケ場所の紹介、許可・届出手続きの調整や取次ぎ、撮影スタッフの宿泊施設やお弁当の手配先などの関係事業者の紹介等による支援を行う組織を言い、その多くは自治体やその関連団体を主体とし、非営利である場合がほとんどです。

通常、映画等の映像を街の中で撮影するには、様々な手続が必要です。例えば、道路で撮影をしたり、火薬を使用したりするには、警察や消防をはじめとする関係機関の許可を得なければなりません。これらの繁雑な手続を、映像製作者側と、行政や企業などの関連機関との間に立ってスムーズに進めるとともに、撮影の誘致に努めることもフィルムコミッションの役割とされています。

フィルムコミッションの歴史と現状

フィルムコミッションは、1940年代後半に、アメリカ・ロサンゼルス地域の警察と州兵・ハイウェイパトロール・消防署・国立公園の管理人の間で、ロケ撮影時の協力体制の必要性から誕生しました。当時は、単に交通整理や道路を封鎖したいといったハリウッドの要請に対して、その活動の便宜を図る程度のものでした。

1970年代に入ると、映画撮影の多くがリアリティを求めるようになり、ロケ撮影の需要が高まりました。この動きをきっかけに、フィルムコミッションの必要性が高まり、1990年代には、世界一の映画大国であるアメリカをはじめ、カナダ・オーストラリア・フランス・スペイン・メキシコ・香港等でも続々と設立されました。

日本では、2000年2月に大阪で日本初のフィルムコミッションが設立されました。その後、同年9月に神戸と北九州で設立され、横浜は同年10月、国内で4番目のフィルムコミッションとして事業を開始しました。その後も、数多くの自治体で、フィルムコミッションが設立されています。

横浜フィルムコミッションについて

横浜と映画の関係は古く、大正時代には元町公園の一角に撮影所が設けられ、数多くの映画が製作されました。ロケ地としての横浜の歴史は、既にこの頃から始まっていたと言えるかもしれません。その後も、港や西洋風建築・中華街など、どこかエキゾチックな街、「横浜」では、日活・松竹・大映・東宝・東映など、国内の大手映画会社による作品が撮影され、様々なスポットがロケ地として取り上げられてきました。

かつて、篠田正浩監督が『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』を製作した際、氷川丸や山下公園の撮影で、申請や許可を得るのに数か所とのやり取りが必要となり、市に手続を取りまとめられないかとの提言が寄せられました。他にも、故・伊丹十三監督が新聞に「横浜の映像都市宣言を望む」というコラムを寄せたり、神奈川新聞が「横浜にフィルムコミッションを!」という記事を掲載するなど、市内でのフィルムコミッション設立を求める機運が高まりました。

一方、全国的にも、民間企業有志や映画関係者、映画監督などが集まり、国内に「フィルムコミッション」を設立しようとする「フィルムコミッション設立研究会」がスタートし、横浜でも、横浜学特別セミナーで「映像都市を目指して―横浜フィルムコミッションの第1歩」という講座が開かれるなどの経過があり、2000年10月1日に横浜フィルムコミッション事業がスタートしました。

横浜市では、撮影支援を行うことで、以下のような効果があると考えています。

  1. 「横浜」が映像として全国・世界に配信されることによるシティーセールス効果
  2. 「横浜」が映像の舞台となることによる観光客増加、経済効果
  3. 「横浜」がロケ地となることによる街の魅力の再発見、市民の地元愛の醸成
  4. 良質な横浜の映像の蓄積やその発信による“映像文化都市”の形成

横浜フィルムコミッションの活動内容や支援対象については、製作者の皆様へのページをご参照ください。