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鎌倉武将 畠山重忠

畠山重忠と旭区

 畠山重忠は、鎌倉時代に活躍した武将で、幕府を開くときにも力をつくし、源頼朝にたいへん信頼されていました。
 平氏全盛の時代に、現在の、埼玉県深谷市畠山(旧川本町)で生まれ、、嵐山町に屋敷を構えていました。重忠は、源義経とともに一の谷や屋島で平氏と戦い、奥州征伐でも活躍したといわれています。
 しかし、幕府の権力争いにまきこまれ、鎌倉に向かう途中、鶴ケ峰付近で討ち死にしました。地元の人たちは、その人柄をしのび、八百年以上たった今も語り継いできましたので、旭区内には、重忠ゆかりの史跡がたくさん残っています。
 また、六ツ塚がある薬王寺では、毎年6月22日に重忠公和讃や重忠節踊りの奉納などで畠山重忠をしのぶ慰霊祭が開催されています。

 ※畠山重忠に関することは、次のページからもご覧いただけます。
  ・武蔵武士 畠山重忠辞典(埼玉県深谷市ホームページ)
  ・嵐山町web博物誌(埼玉県嵐山町ホームページ)



畠山重忠に関する資料

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重忠ゆかりの史跡の写真

旭区内にある主な重忠ゆかりの史跡の写真です。

■畠山重忠公碑■
 畠山重忠没後750年を記念し、昭和30年6月、鶴ケ峰と埼玉県深谷市畠山(旧川本町)の有志により建立されました。碑は、水道道が厚木街道を横断する交差点の、見晴らしのよい場所に建っています。

畠山重忠公碑1 畠山重忠公碑2

■首塚■
 重忠の首が、祭られた所と言われています。区役所裏側のやや小さな高い場所にあり、『首塚』と書かれた標柱が目印です。現在は、西向きですが、以前は南を向いていたそうです。
 その側には、首を洗い清めたと言われる『首洗い井戸』がありましたが、現在はなくなっています。河原に、直径1メートル程の穴があり、水が湧いていたと言います。

首塚1 首塚2

■駕籠塚■
 畠山重忠の内室(身分が高い人の妻のこと)「菊の前」は、合戦の連絡を受け、急ぎ駆けつけました。
 しかし、この地で重忠戦死を聞いて悲しみ、自害しました。その場所に駕籠ごと埋葬されたといわれています。
 以前は、浄水場の中に周りを囲まれた大きな塚があったそうです。昭和30年に場外に移され、その後、昭和49年に現在の姿に整備されました。

駕籠塚1 駕籠塚2

■六ツ塚(薬王寺)■
 畠山重忠をはじめ、一族郎党134騎を埋めたと伝えられている6つの塚があります。 霊堂である薬王寺には重忠の霊が祭られており、毎年、命日の6月22日には慰霊祭が催されます。

六ツ塚(薬王寺)1 六ツ塚(薬王寺)2

協力:旭ガイドボランティアの会
※「旭ガイドボランティアの会」については、お知りになりたい方は、こちらのページ(旭ガイドボランティアの会ホームページ)からご覧ください。

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